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令和7年度八雲町平和学習事業派遣団「平和の誓い」

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2025年9月5日更新

令和7年度八雲町平和学習派遣事業を実施しました

平和記念公園2

八雲町では、八雲町の核兵器廃絶平和都市宣言(平成20年3月21日)に基づき、町内の中学生へ平和の大切さを学習してもらい、八雲町における次世代への平和教育の普及と振興を図ることを目的として、人類史上最初の原子爆弾が投下されたまち、広島県へ生徒を派遣する「八雲町平和学習事業」を実施しています。

被爆者の高齢化が進む中、被爆体験の風化や若い世代を中心とした平和意識の低下・希薄化が強く心配されています。
この夏、5人の派遣生徒たちは広島でどのようなことを学び取り、平和について何を考えたのでしょうか。

帰町後、派遣生徒が作成した「平和の誓い」を、下記のとおり八雲町ホームページに掲載します。

平和の誓い

 私達は、8月5日から7日の三日間、広島市を訪れました。それぞれの場所で感じた一人一人の思いを発表します。
 1945年8月6日 、午前8時15分に広島市の島病院の上空に原爆が落とされ、爆発しました。この原爆によって、たくさんの人たちが楽しく暮らしていた場所が一瞬にして火の海に変わりました。実際に被爆した方は広島が「地獄のようだった」と語っています。
 原爆が落ちた後、人々は水を飲みたいと求めましたが、ほとんど飲めませんでした。そのため、平和記念公園には水のモニュメントがたくさん設置してありました。
 皆さんは原爆が落とされた当時の広島を想像できますか。
 私が今回、一番印象に残ったものは、原爆ドームでした。かつて、「広島県産業奨励館」と呼ばれていた原爆ドームは、博覧会や美術展なども度々開催されるなど、とても賑わっていました。
 しかし、3階、2階もほとんど崩れ落ち、現在は、原爆の悲惨さを伝える建物となってしまいました。
 今年で被爆から80年が経ち、どんどん関係者の高齢化が進んでいます。このような現状があるため、更に原爆を知らない世代である私達が伝えていくことが重要になっています。
 原爆の被害をこれ以上繰り返してはいけない、と私は思いました。

(落部中学校 2年生)


 今回、全国こども平和サミットに参加して、色々な地域の中高生が取り組んでいる平和に関する活動を知り、更に、被爆者の方からの重要な被爆体験をお聞きすることができました。
 今から80年前、一つの原子爆弾が広島市の上空約600メートルで爆発しました。
 爆発したその後、すぐに熱風、爆風、放射線が一気に発生しました。
 爆心地付近では、熱線のため、地表温度が摂氏3,000度~4,000度に達し、爆風は秒速440メートルに及び、更にこの時、大量の放射線が放出されたそうです。
 当時、ほとんどの行政機関が壊滅し、公文書が焼失したために、原子爆弾による死没者の数や、氏名がわからない、身元のわかっていない死没者も少なくありません。
 私は二度と、こんな悲惨で酷い経験を誰にもさせたくない、という気持ちで、このことを多くの人に伝えていきたいです。

(野田生中学校 1年生)


 80年前、広島への原爆投下により、広島は想像を絶する被害を被りました。
 私は、広島平和記念資料館で、実際に被爆した当時の物の展示品、写真等を実際に見て、当時の広島はどのような状況だったのか、また、被爆者の方が被爆後にどのような症状を持ち、最期を迎えたのかについても深く知ることができました。
 放射線を受けた方は、後遺症が残り、急性障害以外にも、火傷が治った後からケロイドができたり、白血病、がんに苦しみながら生きてこられました。
 資料館で印象に残っているのは、鉄谷伸一(てつたにしんいち)さんが被爆当時に乗っていた三輪車、折免滋(おりめんしげる)さんが持っていたお弁当箱などです。
 私はこれらを見てきた上で、これからも平和について考え、身の回りにいる人に伝え、当時の惨状を絶対に忘れさせはしないと自分自身に誓いました。

(八雲中学校 2年生)


 私は、平和記念公園の近くにある、本川小学校平和資料館などを見学し、改めて原爆や放射線の恐ろしさに衝撃を受けました。
 原爆が落とされる以前の本川小学校には、多くの生徒が通っており、校庭で遊んだり教室で授業を受けたりと、穏やかな日常がありました。
 ところが、八月六日、アメリカ軍が原子爆弾を投下したことで、その「日常の風景」は一瞬にして「地獄」と化しました。
 現在、本川小学校は被爆した旧校舎の一部を残し、「本川小学校平和資料館」として保存されています。
 そこには、亡くなった生徒の遺品、当時の広島の様子を写した写真、広島原爆死没者慰霊碑に刻まれた本文、学徒疎開した生徒の名簿など、生々しい資料が展示されていました。
 私は、本川小学校平和資料館などを訪れて、戦争と原爆の恐ろしさを改めて実感しました。
 この思いを自分の中だけにとどめず、クラスメイトや後世に伝えていきたいと思います。そして、広島に原爆が落とされた日を決して忘れてはならないと心から感じました。

(熊石中学校 3年生)


 今年の8月6日、広島の朝にはどこか重い雰囲気が漂っていました。
 平和記念公園に続く平和大通りには、朝早くから長蛇の列ができていました。
並んでいる間も、原爆投下時刻が近づくたびに胸が張り裂けそうな思いになりました。 
 80年前、一瞬にして地獄と化した広島。
 平和記念式典が行われる平和記念公園は、もとは市内有数の繁華街として栄えた歴史ある街でした。
 一発の原爆は当たり前の日常を奪い、人々に後遺症と消えない深い傷を残しました。
 二度とこのような歴史を繰り返してはならない。会場全体がその決意をしたように感じました。
 黙祷の時に鳴らされた平和の鐘の音は、私の心に強く響き、平和について改めて考えようと思わせてくれました。
 80年、この場所で起きた悲惨な出来事を忘れたり、目を背けるのではなく、知ろうとすること。私達の記憶だけにせず、伝えていくこと。それが私達にできる最大限の追悼だと思います。
 その一歩として、平和とは何か、戦争をなくするためにどうすればよいのか、よく考えていこうと思います。

(八雲中学校 2年生)

(参考)広島での学習プログラム

 (1) ボランティアガイドによる平和記念公園内の慰霊碑・施設等の解説
 (2) 町内小中学校・町民から寄せられた千羽鶴の献納
 (3) 平和記念式典に参加
 (4) 「原爆の絵・絵画展」の見学
 (5) 第1回全国こども平和サミットに参加
    (被爆体験講話の聴講、若い世代による平和への取組に関する発表など)
 (6) とうろうピースメッセージの作成
 (7) 平和記念資料館の見学
 (8) 本川小学校平和資料館の見学

事業主催者

八雲町平和学習実行委員会(八雲町教育委員会社会教育課内)

八雲町末広町154番地 電話 0137-63-3131

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