土産品としての木彫り熊

やっほー!しげちゃんです。
昨日放送の『新説!所JAPAN』はご覧いただけましたでしょうか。
見逃した方は、TVerという、民放の番組を放映後1週間見ることができるウェブサイトにあがっていますので、そちらからどーぞ。3月18日21時に配信終了です。

TVer 新説!所JAPAN #19お土産

長めに木彫り熊の説明を取っていただき、全く知らない人が初めて触れるものとしてはわかりやすいんじゃないでしょうか。
細々した突っ込みはありますが、この短い時間で細かく紹介するのは無理ですし。

没になったシーン
没になったカット

ぶっちゃけこういったテレビ番組ですが、出来上がったVTRをみて「これはおかしい」とか指摘することはできません。
シナリオだけチェックといった形や、全くさせてもらえない時もあります。

今回はナレーションの文章とか書き起こしたのをチェックさせてもらいました。
大体OKなんです。慶勝と義親がごちゃごちゃになる人が多いので、そこも入れてもらいましたし。
でも明らかに変だったのは、義親がヨーロッパ旅行で木彫り熊を見つけたくだりがアニメで描かれた部分。
歳取りすぎです。
36歳をあの描き方はちょっと…。サンプルとしたと思われる写真は、80歳のだからでしょうけど…。
こういった方法で紹介すると思わなかったので、放送見て「あちゃー」となってました。
ちらっとでも見せてもらえれば、アドバイスできるのに…といったことは、多いです。

あと木彫り熊の人気がなくなっていったのは、ブラウン管テレビがなくなったからがメインの理由ではないので、引っ張られないでください。
最後に出てくる、生活スタイルや嗜好の変化、お土産の多様化ですね。
お土産は残るものが好まれた時代から、消えるもの=お菓子類が好まれる時代に。
また職場で配ったりすることから、個装されてたくさん入ったものが好まれるようになってきているようです。
そして餞別をもらって北海道に来ることはなくなり、餞別返しもなく。配るお土産として買わなくなる。
家で飾る場所(床の間、ブラウン管TV等)もなくなり、自分用にも買わなくなる。
さらにはお土産の選択肢も、技術の進歩で広がる。
短時間で移動できる、冷蔵とかの輸送もできる。そういったことから、腐らない木彫り熊から変わっていったのだろうと。

あまりキッチリとした裏付けとれてないですが、そんな感じなんだろうとザックリ考えています。

また、木彫り熊は八雲の移住者たちにとっても、旭川のアイヌたちにとっても、もともと作っていたものではありません。
木を丸彫り(一塊の素材から全体を立体的に彫りだすこと)した熊=木彫り熊は北海道となってから成立したもので、八雲はスイスから、旭川はアイヌ民具のイクパスイやサパンペの熊意匠から、それぞれ作っていきました。
そして八雲では移住者たちの農閑期の副業であり、ペザントアート=農民美術として、旭川ではアイヌが生活の糧を稼ぐ手段として、また木彫り技術を生かし継承する場のひとつとなっていきました。
和人の文化でもあり、アイヌの文化でもある…北海道が形作られていく中で作られた、北海道の文化だよなぁと考えています。

八雲で木彫り熊が初めて品評会に出品されてから今年で95周年。
道内各地で様々な人が取り組んだ木彫り熊を見に、ぜひ八雲町木彫り熊資料館へ来ていただければと思います。

よろしくどーぞ!

(投稿者:しげちゃん)


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