はねだし倉

 「熊石全景(其の3)」と言う戦前の絵葉書に、海岸に建ち並ぶはねだし倉が写っていました。
 はねだし倉とは、鰊漁家の付属施設として海岸の地形に合わせ、海側に跳ね出す形で建てられた建物で、床には開口部が設けられ、船から直接荷物の出し入れが出来る構造になっています。倉には、漁具の他に鰊粕、身欠き鰊、数の子などを入れていたそうです。
 北海道開拓の村には、「旧土谷家はねだし」と言う建物が移築されています。明治20年頃に建てられた倉で、木造平屋建てで熊石根崎町の海岸部に建てられていたそうです。
 江差町の国の重要文化財「旧中村家」は明治21年頃の建物で、はねだし部分は昭和30年頃海岸道路の建設時に取り壊されたものを、昭和55年からの保存修理工事によって往事の姿を再現したものです。再現にあたり、江差町の横山家、乙部町の寺島家、熊石では根崎町の土谷家と相沼町のカネシチ山田家のはねだしなどを参考にしたと言われています。昭和62年頃には、泊川町に「石置きはねだし倉」が1棟だけ残っていたそうです。
 明治期に建てられたはねだし倉は、昭和30~40年代の海岸埋め立てと道路の造成工事で姿を消していったそうです。

熊石全景 其の3
熊石全景(其の3)の一部分

投稿者:しんちゃん


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