八雲の庚申塔

 先日、町外の方から八雲町内の庚申塔の所在について問い合わせがあったので、少し調べてみたところ4基の庚申塔が確認できました。
 「熊石の石碑」の中に、3基の庚申塔についての記述があります。
 関内の庚申塔は明治24年に建立され、「関内よもやま話」によると、明治23年~30年当時は、世話方の野呂家が茶屋通りの入り口付近にあり、庚申塔も関内川の側に建っていたそうです。

関内の庚申塔

関内の庚申塔(H17.10撮影)

 泊川の庚申塚は、建立年代が判読できない状況にありますが、現在でも大当番、小当番の二つのグループが守護神の猿田彦の軸を掲げて祭りを催しているそうです。

泊川の庚申塚

泊川の庚申塚(H17.10撮影)

 折戸の庚申塚は、もともとは蚊柱と折戸の村境の”かんかね沢”にあったものを、昭和6年に折戸の女性達が現在地に移築したそうです。
 

折戸の庚申塚

折戸の庚申塚(H17.10撮影)

 落部八幡宮境内に所在する猿田彦尊は、「北の庚申塚」によると、もともとはわらび野にあったものを、昭和50年ころに碑を建立した孫が現在地に移設したそうです。

落部八幡宮の猿田彦尊

落部八幡宮の猿田彦尊(H23.8撮影)

 庚申信仰は、中国より伝来した道教に由来するそうで、仏教では帝釈天や青面金剛を祀り、神道では猿田彦を祭るとのことです。
 庚申塔は、江戸時代初期より建立が始まり、中期から後期にかけて「庚申塔」「庚申」の文字が刻まれるようになり、沖縄を除く全国に作られるようになったそうです。明治政府は、庚申信仰を迷信と考え多くの庚申塔が撤去されたり、現在では道路の拡幅工事などでも撤去や神社境内に移設されたものが多くあるそうです。

投稿者:しんちゃん


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