アイヌ民族とその歴史

アイヌ民族

アイヌの人々は、日本の北方に住む先住民です。アイヌ語では、「アイヌ」とは人間を意味します。アイヌ文化の起源についてはほとんど知られていません。
アイヌについて記述しているのは、最も初期の書物でも、1300年代中期のものと言われています。蝦夷(現在の北海道)で、狩人、植物採集民、漁師として暮らし、自分たちが暮らす土地についての高度な知識を持っていました。アイヌの人々は、サハリンや千島列島、また東北の最北端までの広い範囲に先住していました。文化の中心は、自然との調和的共存を重視する精神性でした。

アイヌ文化

アイヌ民族は、日本とは違った、自分達だけの言語、信仰、伝統を持っていました。 文字はありませんでしたが、世代から世代へと、口承で知識を伝えていきました。
アイヌ語は、北海道中のたくさんの地名に残されていますが、それらは、地形や周りの自然を説明するものが多く、自然環境と密接なつながりを持っていたことは明らかです。
世界には、自分たちが住む世界と神々の世界という、2つの別の世界があると信じていました。自分たちが住む世界のすべての生き物や、人間が作った道具や自然災害などは、何らかの方法で、人を助けたり、害を及ぼしたりするために神々の世界からやって来たと考えていました。
このうち人間の生活に欠かせないものや人間の力が及ばないものを神として敬いました。神に感謝をささげ、平和の継続を祈るため、カムイノミという儀式をよく行いました。ヒグマは、食糧となる肉や、体を暖める毛皮を人間に与える役割を果たすために人間の世界に来た神の化身として崇められていました。ヒグマの魂は、イオマンテと呼ばれる儀式で神々の世界へ送り返されました。
このような行事では、アイヌの人々は美しい手縫いの衣装を身につけました。衣類に刺しゅうされた模様には、様々な意味が込められています。袖口や裾の模様は悪霊を追い払うための意匠であると言われています。
特別な儀式の間、アイヌの人々は伝統的な舞を踊り、歌を歌いました。有名な踊りには、鶴の羽を表わして、上着を持ち上げる鶴の舞や、女性が長い髪をリズミカルに前後に振る、女性の黒髪の踊りなどがあります。

アイヌ人の生活様式

アイヌの人々は、アイヌ語でコタンと呼ばれる集落に住んでいました。アイヌの集落は、食べ物や飲み水が手に入りやすいように、主に、川、湖、海のそばにありました。
集落では、木や、笹、葦などのような自然のものを使い、ブドウの蔓で縛るなどしてチセという家を建てていました。4面の屋根は雪が滑り落ちるように斜めになっており、屋根の穴を通って、炉の煙を外へ出すようになっていました。チセの近くには、食糧を保管する高床式の倉庫がありました。
夏にサクラマス、秋には鮭を捕って調理し、乾燥させ、厳しい冬に備えて保管しました。狩猟採集民として、野草、動物の肉、魚介類を食べていました。一般的な食事は、鮭や野菜など、色々な材料を煮た汁物でした。
一年を通して、集落に住む者は皆、定められた役目がありました。一般的に、春には、男性はシカやクマのような大型動物を狩りました。夏と秋は漁の季節でした。そして冬には、ウサギやクロテンのような小型動物を捕まえました。その間、女性と子供は植物や動物の皮を使って生地を作ったり、食糧にする野菜を摘んだりしました。数百種類の食べられる植物を知っており、必要以上に摘むことは決してしませんでした。
アイヌの人々は、このように収穫した動物の毛皮や鳥の羽などを、近隣諸国との交易で、ガラス玉、絹織物、金属製品のようなものと交換していました。

現代のアイヌの人々

伝統的な生活様式を送っているアイヌはもういませんが、現在のアイヌの人々は自分の文化遺産に誇りを持ち、歴史や文化が忘れ去られることがないよう、多くの取り組みが行われています。
アイヌ政策推進会議や、アイヌ民族文化祭やアイヌ語弁論大会のような年間行事は日本国内だけでなく、世界中でアイヌの伝統を推進する役に立っています。2009年には、伝統的なアイヌの古式舞踊がユネスコ無形文化遺産に登録されました。