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八雲町のあらまし

八雲町のあらまし

八雲町の位置

八雲町は北海道渡島半島の北部にあり、道南の拠点都市函館市と全道有数の重工業都市室蘭市の中間に位置します。東は内浦湾(噴火湾)、西は日本海に面し、北は長万部町、今金町、せたな町、南は森町、厚沢部町、乙部町と接しています。面積は約956平方kmで渡島支庁管内最大の面積をもちます。渡島山系をはさんで、東は遊楽部川、野田追川、落部川が流れ、西は相沼内川、見市川が流れており、農業・漁業ともに恵まれた立地となっています。 

町名の由来

町名は明治14年に徳川御三家の一つ、尾張徳川家(旧尾張藩)の17代当主徳川慶勝侯が、豊かで平和な理想郷建設を願い、古事記所載の日本最古の和歌である須佐之男命(スサノオノミコト)が読んだ「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引いて名付けました。
平成17年10月1日、渡島山系をはさんで隣り合っていた、渡島管内八雲町と檜山管内熊石町が新設合併を行い、新「八雲町」が誕生しました。この合併により日本で唯一太平洋(内浦湾)と日本海に面する町になったことにちなみ、新たに「二海郡」という郡名が付けられました。

八雲町のおいたち(統計資料 統計やくも より)

旧八雲町は開拓の祖、旧尾張藩主徳川慶勝侯が北海道開拓と併せて旧臣授産のため、遊楽部の土地の下付を願い出て明治11年、家族持15戸、単身者10名、総人員82名を移住させたことから本格的に開拓が進められた。これが、八雲町の組織的団体移住者のはじまりであった。その後年々移住する戸数が増加して明治14年黒岩とともに独立して八雲村となった。その後国道の開通により、役場をはじめ各施設機関が漸次山越内村から八雲村に移り、明治35年北海道2級町村制施行により両村が併合して八雲村ができあがった。明治36年に鉄道が開通し、38年に片栗粉同業組合の設立により澱粉製造業が急激に発展し、関東市場の覇権を握って“八雲片栗粉”の声価を博すようになった。明治40年1級町村制施行となり、7月現在地に役場庁舎を新築移転した。(当時の人口10,565人・戸数2,103戸)明治44年雲石(八雲〜熊石間)、太櫓の二殖民道路の開通や産業の進展に伴い、町制施行に対する住民の世論も高まり大正8年に待望の町制施行をみるに至った。(参考 第1回国勢調査 大正9年10月、人口14,413人、世帯数2,762戸) 昭和32年懸案であった落部村との合併を実現した。

旧熊石町の開基は、鎌倉時代後期の永仁4年(1296年)に日蓮上人の六老僧の一人、日持上人がこの地に足跡を残した時を持って定められている。元禄4年(1691年)には和人地エゾ地の境界地として番所が相沼から熊石に移され、当時の日本国最北の地となったが、寛保元年(1741年)に松前大島の噴火があり、村損壊の危機にさらされた。しかし、永享元年(1744年)頃から再び有力者の移住により新たな村づくりが進められ、漁場の拡大等によりニシンの千石場所として再び繁栄するようになった。 明治6年戸長、副戸長制度により熊石、泊川、相沼の3村に戸長が任命された。明治35年北海道二級町村制が改正公布され、新しく熊石村として発足となった。明治20年代頃まで村の産業経済の中心であったニシン漁は明治30年代以降不漁の年が多く、地域活力も低迷を辿り、大正時代にはニシン漁は皆無となったためイカ漁、イワシ漁等への転換が行われた。昭和35年、有史以来最も多くの人口1万有余人を数え、昭和37年には町制施行となり、高齢化や過疎化が進む中で、地域活性化のために農漁業の基盤整備や平地区の開発等が進められてきた。

平成17年10月1日、旧八雲町と旧熊石町が合併を実現した新八雲町が誕生し、面積955.98K、人口19,684人、世帯数8,640戸(平成20年3月1日現在)の日本で唯一、太平洋と日本海を持つ町となった。

北海道南部の交通の要衝 (2009.10更新)

交通では幹線道路として国道3路線があり、函館市と札幌を結ぶ国道5号、渡島半島を横断し、太平洋と日本海を最短距離で結ぶ国道277号、日本海側の幹線道路である国道229号が走り、北海道の大動脈となっています。鉄道では、国道5号と平行してJR函館本線が通り、青函トンネルによってダイレクトに本州と結ばれています。さらに北海道新幹線の整備計画では八雲町に新幹線新駅が設置される予定です。
高速道路網では、道央自動車道の整備が進み、平成18年11月に八雲インターチェンジが平成21年10月には落部インターチェンジが完成し、道央圏とのアクセスが大きく前進しました。さらに函館方面に向けて延伸工事中です。空路については町から約80kmの位置に函館空港(函館市)があり、空港から町までの所要時間はおよそ車で1時間45分程度です。

二つの気候

気候は太平洋側と日本海側で異なり、太平洋側では年平均気温7.9℃、日本海側では暖流の影響を受け年平均気温9.1℃となっています。降水量は太平洋側が夏に多く、冬に少なくなるのに対し、日本海側では冬に多く、夏に少なくなる傾向が見られます。  また太平洋側では海洋性気候のため夏期に霧が発生することがあります。この気候を利用して八雲町では古くから酪農業が発展しました。

人口は減少傾向

人口は平成20年12月末日現在の住民基本台帳で19,473人、世帯数は8,684世帯となっています。毎年徐々に減少が続き、核家族化、高齢化も進んでいますが、町の施策として積極的な移住促進に努めています。
移住にご興味がある方は、「八雲町に住んでみませんか」(移住施策のポータルサイト)をご覧ください。
気候その他の統計データについては、統計資料「統計 やくも」をご覧ください。
旧八雲町・旧熊石町の詳しい歴史については、「デジタル八雲町史・デジタル熊石町史」をご覧ください。

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